トップ活動家のご紹介 > 一般財団法人 日本熊森協会 森山まり子様

生きる場所を奪われたクマの悲痛な叫び!「誰もやらなければ私がやる」命がけのスタート

 「活動のきっかけは兵庫県尼崎市立武庫東中学校に勤めていた1992年の事、生徒が持って来た一枚の新聞記事でした。痩せてガリガリのクマが射殺され、両側には笑顔のハンターたちの写真が大きく掲載されていました」。
 戦後の拡大造林によって広大な部分が伐採され、人間に有用なスギとヒノキの人工林を推し進め野生動物たちはねぐらとエサ場をなくしたのです。
 「棲む場所を失い空腹のあまり民家近くに出てきた動物たちを、人間は銃で撃ち殺し次々と駆除し始めたのです」。
 胸の痛みを抑えきれなかった生徒たちに突き動かされ、「クマ保全活動」に立ち上がりました。生徒たちと集めた署名を集め兵庫県知事に直訴。生徒たちは天皇陛下にも手紙も書きました。ついに1994年5月、「兵庫県ツキノワグマ狩猟禁止」が発表されました。

 それから森山さんは全国を飛び回り自然について徹底的に調査。その中で生命の息吹に満ち溢れた手つかずの自然の森と遭遇。「これが本来の姿。動物が通る獣道は森に風を引き込み、枝を折りながら木の実を食べることで日光を入れるんです。動物と植物は密接な共生関係にあるのです」。一方、放置された人工林は光は差さず、草木育たず生き物の気配のない絶望的な死の森だったそうです。
 そんな現状を目の当たりにした森山さんは1997年、『日本熊森協会』を設立。その時「国策に意見が言えるよう、国からの援助はもらわず会長は無給」と決め、教師と“熊森”の二足のわらじをはきながら過酷な日々を過ごしました。なぜなら、当初、同協会の活動費はすべて森山さんの教師の給料で賄われていたから。
 やがて活動の輪も広がり、発足から10年後の54歳の時に教師を辞め“熊森”の活動一本に没頭することになりました。

全ての生物が生き残れるように!全身全霊をかけて森再生運動を展開

 戦後、日本で伐採された原生林の面積は、なんと東北6県分の面積に相当。そこを含む1000万ヘクタールを人工林に変えてしまいました。その後、安い輸入材によって国内林業が廃れ、放置された広大な人工林は荒れ果てて死の森となったのです。
 『日本熊森協会』ではクマをシンボルとし、全国の奥山に出むきボランティアで、放置された人工林の間伐・皆伐を行っています。実のなる広葉樹の植林や行政への提言、野生動物の保全・調査活動、環境教育などさまざな活動を実施。当初は少人数だった会員も今では全国に約1万9000人を数えるまでに。2012年には経営破綻した秋田県八幡平クマ牧場に残されたクマの救命と保護飼育を願う運動に取り組み、翌年新設された終生保護飼育施設への全頭移送が終了。この間、活動資金1千万円以上を支援。さらに琵琶湖水源の森を業者から買い取り、西日本最大の巨木群の保全に尽力。初の国有林間伐を実施など多岐に渡る活動を繰り広げています。

 地球上には3000万種類の生物が存在していると言われ、その陰で毎年4万種類もの生物が絶滅しているそうです。「豊かな森を次世代に残すために、全てをかけて活動に取り組んでいきます」とまっすぐなまなざしで話す森山さん。「生徒が言った言葉が今も忘れられません。『大人は子どもに愛情なんてないんと違う?自然も資源も自分たちの代で使い果たして、ぼくらに何も置いとこうとしてくれないんやな」。

 私たちもこの言葉をしっかり受け止めて、大人は未来の子ども達に何をすべきか今一度考えていきたいものです。